東京地方裁判所 昭和44年(ワ)8192号 判決 1971年5月28日
原告
万田正己
外一名
代理人
鳥生忠佑
外七名
被告
東京都北区
右代表者
小林正千代
代理人
楠元一郎
外一名
主文
一、被告は原告両名に対しそれぞれ金二九〇万円およびこれに対する昭和四三年一一月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
三、この判決は仮に執行することができる。
事実
(当事者双方の申立)
原告らは主文同旨の判決および仮執行の宣言を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
(請求原因)
一、原告らは夫婦であつて、東京都北区神谷一丁目五番二号に居住しているが、その子万田徹也(当時五歳九ケ月)は昭和四三年一一月七日午後四時ごろ、近所に住む祖母の浦野ナミエ方から自宅へ戻る途中、被告の管理する右自宅附近の公共溝渠(旧宮堀川、後に暗渠化され、現在はその上が道路になつている。以下「本件溝渠」という)に転落して死亡した。
二、万田徹也の本件溝渠への転落死亡事故は、次に述べるような被告の本件溝渠の管理の瑕疵に基くものである。
1 本件溝渠の存する北区神谷一丁目五番地および六番地は、その北西側を近代的な産業道路が走り、北東側を隅田川の防波堤、西側を北本通りに囲まれた、小さな民間アパート等の木造家屋が軒を寄せあうように立ち並んだ過密地帯で、右溝渠はその真中を東西に走る長さ約一五〇メートル、幅約三メートル、深さ約2.8メートル(水位は満潮時に約2.5メートル)の公共溝渠である。
2 本件溝渠は昭和三一年ごろまでは自然溝の状態に放置されていた。そのころは溝は浅くなだらかに傾斜していたので、幼児が溝に転落しても容易に這い上がることができ、また救助も比較的簡単で大事に至らない場合が多かつた。
ところが、被告は昭和三一年ごろ、本件溝渠に排水場を設け、溝を2.8メートルに堀りさげ、両岸をコンクリート壁で仕切り、その上に約八〇センチメートル間隔に幅約一五センチメートルのコンクリート梁を架設した。そうして本件溝渠の両側は木杭を打込んで二段ないし三段に有刺鉄線を張つてあつた程度で、しかも右木杭の高さは約七〇センチメートルぐらいしかなく、その有刺鉄線もさびつきが激しく、ところどころ切れていて、どこからでも右溝渠内に入れる有様であつた。その結果、溝が深くなつただけでなく、側面が垂直であるため一歩足を踏みはずすと溝渠に転落し、自力ではとうてい脱出することが不可能という極めて危険な状態になつた。徹也が転落したと考えられる現場付近の橋のそばの有刺鉄線も約二メートルにわたつて切れており、その切れた地点から右現場に至るまでの梁の上には、隅田川の流れで打ち上げられた屑や木材などが乱雑に積重なり、一見その上を歩行できる状態にあつたが、それらは長年月の風雨にさらされて腐蝕していた。
3 そして、本件溝渠の付近は前記のとおり住宅が密集しており他に適当な遊び場がないために、付近の子供らは本件溝渠の周辺を遊び場にしていたが、本件溝渠にコンクリート壁が設置された結果、自然溝のときより事故発生が頻繁になり、しかも生命に対する危険が著しく増大した。そして、右溝渠における二才から九才までの幼小児の転落事故は、昭和三一年以後、判明しただけでも本件事故を含めて一二件に及び、そのうち三名が死亡している。
4 そこで、本件溝渠付近の住民は被告に対し、本件溝渠を暗渠にするなどの危険防止の措置をとるよう陳情をはじめたが、その後も被告は何ら具体的な措置を講じることなく、昭和三七年五月に岩谷真一(当時六才)が本件溝渠で溺死するに至つて初めて現場付近に有刺鉄線を張つたにすぎない。
5 しかし、被告が有刺鉄線を張つた後も、昭和四三年六月までの間に、判明しただけでも八件の事故が発生し、その中には昭和三九年一〇月の立道直之(当時二才八ケ月)の溺死事故も含まれている。
6 したがつて、有刺鉄線を張りめぐらすだけでは到底事故を防止することができないことは本件事故当時までにすでに明らかになつていたのであり、被告が有刺鉄線を張つたりこれを補修したからといつて、事故防止の措置を十分に尽したことにはならない。しかも、右の有刺鉄線は前記のとおり、ところどころ切れており、その高さもも約七〇センチメートルで大人の腰の高さしかないという全く不完全なものであつたのである。
三、本件事故は、本件溝渠に対する被告の管理に右のような瑕疵があつたために発生したのであるが、万田徹也は死亡当時五才九ケ月の健康な男児であつたから、その余命は70.47年あり、徹也が生存していれば満二〇才から六〇才に達するまでの四〇年間は少くとも企業規模五人以上二九人以下の事業所に常傭労働者として稼働し、右期間中少くとも毎月四万一、三九四円(年額四九万六、七二八円)の収入を得、右収入を得るために控除すべき生活費を右期間を通じて五割とすると、年間純益は二四万八、三六四円となり、中間利息の控除につきホフマン式(年別複利)計算法を使用して死亡時における逸失利益を算定すると三八〇万円(一〇万円未満切捨)となる。そして、原告らは徹也の父母としてこれを二分の一づつ相続した。
また、原告らは徹也の死亡により父母として精神的な苦痛を味つたが、これを金銭に見積ると各自一〇〇万円を下らない。
四、よつて、原告らは被告に対し、国家賠償法第二条に基き、それぞれ右の損害金二九〇万円およびこれに対する本件事故発生の日である昭和四三年一一月七日から右各完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する答弁および抗弁)
一、請求原因第一項の事実は認める。ただし、本件溝渠は被告が地方自治法第二八一条第二号第九号により管理するものではあるけれども、国家賠償法第二条にいう公の営造物ではない。
二、請求原因第二項記載の事実中、本件溝渠の両岸をコンクリート壁で仕切り、その上に約八〇センチメートル間隔に幅約一五センチメートルのコンクリート梁が架設されていたこと、その両側には木杭を打込んで有刺鉄線が張つてあつたこと、その有刺鉄線が原告ら主張の橋のそばで約二メートルにわたつて切れていたこと、および本件事故以前にも数回子供が本件溝渠に転落し、そのうち一名が死亡したこと、本件付近の住民が被告に対して昭和四二年六月二〇日と同四三年六月一一日の二回請願をしたことは認めるが、その余の事実は争う。
被告は本件事故発生の数ケ月前の昭和四三年六月に五回にわたり延人員一八名を使用して本件溝渠の両側の有刺鉄線を全面的に張り替えた。したがつて、本件溝渠が国家賠償法第二条にいう公の営造物にあたるとしても、被告の管理には瑕疵はなかつた。また本件溝渠の管理につき瑕疵があつたとしても、それは万田徹也の転落死亡事故とは因果関係がない。
三、請求原因第三項の事実は争う。
四、かりに、被告に損害賠償義務があるとしても、本件事故の発生には原告らにも過失があつたから、その賠償額の算定について右過失を斟酌すべきである。
五、原告らの住居を含め、本件溝渠の両側の建物の殆んどは違法建築でかつ本件溝渠の両側の国有地を一部不法占拠しているのであるから、被告はこのような住民に対し責任を負う必要はない。
(証拠)<略>
理由
一1 原告両名の子の万田徹也(当時五歳九ケ月)が昭和四三年一一月七日午後四時ごろ本件溝渠に転落して死亡したこと、自宅付近の本件溝渠は被告の管理する公共溝渠であることについては当事者間に争いがない。
2 被告は本件溝渠は国家賠償法第二条にいう公の営造物に該当しないと主張するけれども、ここにいう公の営造物とは国または地方公共団体により公の目的に供用されている有体物をいうのであり、本件溝渠が前記のとおり被告が法律上管理する公共溝渠であることについては争いがないのであるから、本件溝渠はまさに公の営造物であつて、被告の右主張は採用のかぎりでない。
二そこで、万田徹也の死亡について本件溝渠の管理に瑕疵があつたかどうかについて判断する。
1 本件溝渠は長さ約一五〇メートル、幅約三メートル、深さ約2.8メートルで、その両岸がコンクリート壁で仕切られ、その上には約八〇センチメートル間隔に幅約一五センチメートルのコンクリート梁が架設されていること、本件溝渠付近は小さなアパート等の木造家屋が密集した住宅地で、その北側を近代的な産業道路、西側を北本通り、その北東側を隅田川の防波堤に囲まれていることについては当事者間に争いがない。
2 本件事故の発生した昭和四三年一一月七日当時、本件溝渠の両岸には木杭を打込んで有刺鉄線が張られていたことについては当事者間に争いがなく、そして、<証拠>によれば、本件溝渠の両側の有刺鉄線は本件事故発生の数年前から張られその後も破損部分の補修工事が行われたことおよび昭和四三年六月には被告において右有刺鉄線の腐蝕した部分をほぼ全面的に張り替えたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
3 しかしながら、<証拠>によれば、右有刺鉄線の高さは約七〇センチメートルぐらいしかなく、その内外に木材や空箱等が積重ねられていたのでこれを乗越えて溝渠内に入り洗濯物を干したり、木材を置いたりした者がおり、溝渠のコンクリート梁の上には木材やその他の屑の類がいたるところに積重なつていたことが認められ、さらに、右各証拠によれば、万田徹也が死体で発見された地点付近の溝渠上の橋に接して板を渡して屋台の置き場所が設けられていたが、その入口に当る部分の有刺鉄線が約二メートルにわたつて切れており(この点については当事者間に争いがない)、右屋台置場の奥の方の溝渠に面する部分には有刺鉄線はもちろんのこと、転落を防止する何らの柵も設けられていなかつたことが認められ、右各認定を覆えすに足りる証拠はない。
4 ところで、万田徹也が本件溝渠に転落して死亡したことについては前記のとおり当事者間に争いがないが、どこから本件溝渠内に入つて転落するに至つたかについては、これを断定するに足りる証拠はない。
5 そして、<証拠>によれば、原告らの住居の付近には公園等の適当な遊び場がなく、子供らは本件溝渠の周辺の道路および空地を遊び場にしていたが、本件事故前の数年間に一〇名を越える子供が本件溝渠に転落し、そのうち二名が死亡したことが認められ右認定に反する証拠はない(ただし、数名が転落し、そのうち一名が死亡したことは当事者間に争いがない)。
しかし、前記認定の各事実からも明らかなとおり、本件溝渠の付近には適当な遊び場がなく、本件溝渠の周辺が付近の子供らの遊び場になつていて、本件事故以前にも、子供の転落事故が少なからず発生していたのであり、かつ、右転落事故のあつたことは被告も知つていたのであるから、前記のように本件溝渠の両岸に木杭を打込みこれに有刺鉄線を張つただけでは、事故防止の方策としては充分なものとは言い難く、被告としては転落事故等の防止のため有刺鉄線にかえて金網を張る等より適切な防護策を講ずべき管理責任があると解すべきところ、単に昭和四三年六月ごろに被告において有刺鉄線の腐蝕部分を張りかえたとはいえ、その高さが約七〇センチメートルぐらいしかなく、しかも、その傍に空箱等が積んであつたというのであり、さらに、事故現場と考えられる地点の近くの有刺鉄線が約二メートルにわたつて切れていたというのであるから、万田徹也はどこからでも容易に本件溝渠内に入りえたといわざるをえず、この点において、被告の本件溝渠の管理には瑕疵があつたと解するのが相当である。
また、本件溝渠付近の住民が昭和四二年六月と同四三年六月の二度に亘つて本件溝渠の危険性等を理由にその暗渠化を請願したことは当事者間に争いがないのであるから、これに対し特段の処置を施さなかつた被告の右本件溝渠の管理の瑕疵と万田徹也の転落事故に因果関係があるというべきである。
三1 原告両名の各本人尋問の結果によれば、万田徹也は健康な男児であつたことが認められ、また、死亡当時五歳九ケ月であつたことは当事者間に争いがないから、統計によれば同人は満二〇歳から六〇歳まで稼働できたことおよびその間の収入が年平均四九万六、七二八円を下らないことも明らかである。そして、右収入を得るために控除すべき生活費を右全期間を通じて五割とし、ホフマン方式により中間利息を控除すると、死亡時における逸失利益は三八〇万円となる(一〇万円未満切捨)。
そして、原告らが万田徹也の両親であることは当事者間に争いがないから同人の死亡により原告らは右逸失利益の賠償請求権の各二分の一をそれぞれ相続したことになる。
2 また、子供を事故により失つた親の精神的苦痛に対する慰藉料としては原告両名につきそれぞれ一〇〇万円と認めるのが相当である。
四ところで、被告は本件事故については原告らにも過失があつたからこれを斟酌すべきだと主張するが、前記のとおり本件溝渠の近くには適当な戸外の遊び場がなく、このような環境で遊びざかりの子供を絶対に本件溝渠に近寄らせないことを期待することは不可能に近いことであるから、万田徹也が親の眼の届かないところで本件溝渠に入つたからといつて原告らに監護義務の懈怠があつたとはいえないし、また、<証拠>によれば、万田徹也が本件溝渠に転落した直後ごろ、同人の妹の万田美香(当時三歳)が徹也が本件溝渠に転落したらしいことを母の原告万田初音に告げたことが窺えないではないけれども、<証拠>によれば徹也と転落後間もなく死亡をしたことが認められ右認定に反する証拠はないから、原告万田初音がただちに救助の手段を講じなかつたからといつて、徹也が蘇生したかどうかわからず、いずれにしても原告らに過失があつたとは認められない。
五被告の責任阻却事由の主張については、かりに原告両名の住居が違法建築であつて、国有地を不法に占拠していたとしても(かかる事実を認定できる証拠はない)、これが被告の本件事故の法律的責任を阻却する事由とならないことは言をまたないところである。
六そうすると、被告は原告らに対し、それぞれ二九〇万円およびこれに対する本件事故が発生した日であることにつき当事者間に争いのない昭和四三年一一月七日から右各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求は正当である。
よつて、原告らの請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(緒方節郎 定塚孝司 水沼宏)